あれは「無気力」だったんだろうか。
韓国梨泰院でのハロウィンの圧死事故のニュースを見ていたら、その場に居合わせた人たちのためのメンタルケアの様子が映されていました。
相談を受ける人たちの症状のひとつとして「無気力」があり、それを見て、あ、この言葉、と思いました。
ここ一年の自分の状況ってこの「無気力」だったんじゃないだろうかと。
はじめて神経科を訪れ、治療を開始して、この11月で、ちょうど一年になるところです。
突然の不調
昨年秋口から、体調が悪いな、と思ってはいました。
目の見え方がなにか変。どこと言ってよくわからないけどなにか変。
今にして思えば、いろんなストレスを抱えていました。
自覚できていたのは職場に大嫌いな人を作ってしまい毎日極端に反応していたこと
(普段そこまで人を嫌わないんですが。あそこまで反応することもそんなにないんですが。
ちなみにその人は昨年12月から職場にいません。)、
ワクチンの二回目を打つのが憂鬱だったこと
(副反応にびびってたかも。ワクチン二度目は10月に打ちました)、
他にも気づかないストレスがあったのかもしれませんし、
自分ではコロナに対して周りより呑気に構えているつもりでしたが
やはりそれなりに警戒心で小さな緊張を続けていたのかもしれません。
まあいろんなことが重なったんでしょう。
お腹の調子を悪くしたあと胃がやけに痛むなーと思っていたところに、
うっかり爪を引っ掛けて、生爪ぎりぎりまで取れてしまうということが起こり。
これがショック、決定的なきっかけになりました。
もともと精神的に爪に過剰な意識を持つ傾向がありましたから。
(爪のキズ自体は絆創膏で保護しておけば痛みもない程度だったのですが。)
で。
動けない、起きているのが苦しい、とにかく全くものが食べられない。
手を使うことがほとんどできない・・・
けれど手を使わなければ何もできませんから、なんでも無理やり、不自然なやり方でどうにかこなす。
あまりの気分の悪さに一日休んだだけで、職場には通っていましたが、手の使い方が変になるので、皆が不思議に思わないように、「メンタルをやりました」とチームには早々にカミングアウト。
しばらくは本当に妙で、コピー用紙の包を破るのに始まり輪ゴムを使うのさえも、満足にできない状態でした。
そして本当に全くものが食べられないので(ヨーグルトは食べられたかなあ)内科の先生に紹介をいただいて、ついに神経科の先生のところに行くことに。
それが昨年11月はじめのことになります。
眠る、ひたすら眠る
それから一年。通院と投薬を続け、いろんな症状や状態を通り抜けながら徐々に状態もよくなってきました。
神経科に行ってすぐから食事は少しずつ取れるようになり、やがて普通に戻りました。
その間顕著だったのが休日の使い方です。
以前はあれこれやりたくて時間が足りないくらいだったのに、突然全く何もできなくなりました。
休日はひたすら眠る。眠らなくても横になる。出掛けるなんて考えられない。
うちにいたところで何もしない(寝てますから)。好きな読書もする気にならない。いつもちょっぴり不安感がある。
不安感から逃げるために眠っていた部分もあったように思います。
そうして何もせず何もせず、気付けば一年が経っていました。
ただ、眠っているのはとっても気持ちがよかった。
目が覚めた時は心地のよいリラックス感があった。
それを求めて眠ってもいたのです。
よーく分析してみれば、いろんな気持ちが入り混じって、眠っていたんだろうと思います。
ん?だとすると「無気力」というのとはちょっと違うのかな?
でも本当に、通院前やっていたことを(それ以外のことも)どれもほとんどやる気にならなかった一年だったのは事実なのです。
だとするとやっぱり「無気力」だったのかなあ。
「言葉」に出来るということ
一年かかっていますがお医者さんはわたしについて、病名をおっしゃったことがありません。
意図があるのか単に言ってないだけか、そこはよくわからないのですが(訊けばいいのだ)、
なんとなく、不安神経症か、それでなければ鬱病だろうと思っていました。
自分の状態をこうだ!と定義したい気持ちはそれほどないのですが、それでも、冒頭に書いたとおり、
あ、わたしって「無気力」だったんだ、と思うと、
なんとなく腑に落ちるというか、すっきりする気持ちになります。
実は、ついこの二週間ほど前から、急に「意欲」がわいてきているのです。
放棄していたあれこれをひとつひとつ拾って再開しつつあります。
休日も、ちょっぴり昼寝することはあっても、一日眠っている必要を感じなくなってきました。
このブログをこうして書いているのもそういうアクションのうちのひとつです。
なにせまったく放置していましたからねえ。
そんな今だからこそ気付いたのかもしれません。あれは「無気力」だったのかなあ、と。
だとしたら、「気力」がわいてくるのが回復の証と思っていい。
今そういう状態に近くなっています。
右肩上がりで治るわけではないかもしれない。
これからまた困難だったりお医者さんに頼ったり周りに頼ったり・・・
いろいろすることもあるでしょうけど、ひとつ、トンネルを抜けた気がしています。
そして改めて、家族をはじめ、支えてくれた人、助けてくれた人、理解してくれた人たちに、
深く感謝しているのです。
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