ピアノ・レッスン20211014・指でしか憶えてなくて
緊急事態宣言の嵐が吹き荒れた福岡市でしたが、このほど全国なみにコロナ禍も鎮静状態。
ずーっとずーっと閉じたままだった稽古場もようやく再開され、
おそろしく久しぶりに、ピアノを弾きに行く事が出来ました。
行きがけのバスの中でしみじみ久しぶりさを噛み締めましたが、
降りるなり立ちくらみがしたのはそのせいではないはず(笑)。
このところやや体調不良です。季節の変わり目だからかな。
余談ですが・・・バスの座席に降りかかる日差しは真夏かと思うほど力強く。
本日の福岡市、最高気温はおよそ28度。10月半ばなのになあ。
日曜日にはここから10度近く下がりそのまま寒くなるというから、極端なものです。
閑話休題。
なんとなくの体調不良を引きずっている気持ちが取れなくて、練習は終始スローペースとなりました。
妙に休み休み。
いつの間にか10月に入っていたので、毎年恒例、クリスマスソングを弾き始めます。
本日は「戦場のメリークリスマス」のみとしました。
この曲大好き。
こないだ近所の映画館でこの映画をリバイバルでかけていましたが、行けばよかった。
何故行かなかったんだろう。
「月光(ベートーヴェン)」第三楽章は、多少の後退を見せつつ、まあまあ以前のレベルまでは行けました。
そのあともゆっくりじっくり、確かめるようにとろとろと弾いて。
そして最後恒例「いつか王子様が」。
ピアノのリハビリを始めたのがこの曲からで、
当時あまりの楽譜の読めなくなりなさ加減に絶望的になりながら、
それでもところどころ自分アレンジもいれつつ弾き続けている曲です。
ところでこれがまるで壊滅。
以前からそれっぽくはありました。
ひとつには一時「月光」に集中しすぎて
頭と指がシャープさん4つ(「月光」はそうなのです)の楽譜向きになりすぎ、
手持ちの「いつか王子様が」のフラットさん2つの楽譜を弾いていてもどうしても間違えてしまう。
いらないシャープさんを足して弾いてしまうのですね。
この現象はたとえば「きらきら星変奏曲」のように、
やさしくしてくれるハ長調(シャープさんフラットさんなし!)の楽譜の時でさえ現れ、
それに引きづられて余計な苦労を自ら背負い込む(ただ見たまま弾けばいいのに・・・)行いはたびたびしていました。
昔はどんなに違う調の曲を続けてもすらすら弾けてたけどな・・・なんて考えても仕方はありません。
さらにもうひとつ、これもあまりに「月光」に集中しすぎて、練習時間のほぼすべてをそれに当ててしまい、
「いつか王子様が」は最後に二回も弾けば上等だった時期がやや続いた・・・ため
この曲が下手になっていたのも事実ではありました。
さて「リハビリのリハビリ」だった今日も、「シャープさん取り付いた病」を当然発症していたのですが、
本日はそれも思いの外重症で、楽譜をどんなにじっくり見て弾いてもやっぱり間違えてしまうのです。
あまつさえ自分でしたアレンジがわからなくなってる。
なんだかいろんなことが混乱している。
どう弾けばいいのかわからない。
すごい。こんな壊滅はなかなかない。
で、どうやってそれから抜け出したかというと。
何度も弾いただけのことでした。
何度も弾いていると指が勝手に思い出してくる。
あんまり考えなくても、以前弾いていたように弾けてくるし、
アタマにもどこからか「はい、フラットさん!」という指令が伝わってくる。
なるほど。
これがカラダで覚えるということか。
そういう時に脳やカラダでどんなことが起こっているのかはわかりません。
もしかして、調べてみると、かなり面白いことかもしれません。
結局はすべて脳の働きなのかな?それとももっと違うことなのかな。
「覚える」というとやはり脳が(無意識も含め)やっているんだろうと考えるのですが、
「記憶」というものは、イメージしているよりずっと、
不思議に満ちた興味深い現象なのかもしれません。
ちょっと知ってみたい。
と思うこの頃なのです。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません